開発学との出会い
学生時代。
学問としての「開発学」ではなく、
フィールドで体感する「開発学」に、徐々に徐々にのめり込んでいきました。
初海外はハタチのとき。いきなり途上国に2ヶ月。
ハタチ。初海外。フィリピン・マニラでの、強烈な日々。
それは、コチラの記事で↓↓
事件は現場で起こっている(フィリピン・マニラ編)
そこで、私の中のリトルはるかにスイッチが入って、「開発学」への熱が燃焼開始したんだと思う。
翌年には…
マニラに行った翌年。
アフリカ大陸、ケニア・ナイロビでのNGOインターンに踏み切りました。
3ヶ月間だけ。期間限定の経験。
なぜケニアだったかというと、きっかけはこの映画との出会い。
映画「チョコラ!」
https://www.youtube.com/watch?v=dq-66EYBm40
物乞いで生計をたてている子供たちのドキュメンタリー。
現地の言葉で「拾う」を意味する「チョコラ」。チョコラと蔑まれながら…それぞれの事情を抱えながら…懸命に生きて行く子供たちの姿を描いた作品。
((学生時代は、「子供」というキーワードにフォーカスしていた傾向がありますー))
現場に行きたい。
ケニアのストリートで生活する、子供たちに、会いたい。自分の目で、見たい。
「事件は、現場で起こっているから。」
事前知識があったって、映像を見ていたって、それが本当かどうかは、自分の目で確かめてみないと分からないから。
そして…
すごいぞ。アフリカ大陸。
現地に行って…やっぱり…
自分史上最大級の勢いで、私の予想を超えて来ました。
ケニアでの初洗練は…空港滑走路内にいた野生のキリン!!笑
キリンのせいで着陸できず、上空で旋回しましたからね。パイロットのアナウンスに、機内は爆笑の渦。lol
おい!キリン!!笑
マサイマラ国立公園。
無修正。動物たちの本気、野生で生きる力、見させてもらいました。一生分、いや五生分くらいの動物を見て来たので、もういいです。
ナクル湖。
これも勿論、無修正。フラミンゴいすぎて正直キモかった。ピンクの湖、キモかったけど…圧巻でした。
ケニアで何をしていたかというと…
スラムの中にあるNGO設立の小学校で、学校の先生をしていました。
生徒たちは、こんな感じ。
学校で朝礼の様子。水色の掘っ建て小屋が、校舎。生徒数は2歳児から8年生までで、200人くらいいたかな。画像荒すぎてすみません
掃除の時間。おい。掃除しろ。
Babyクラスの子達。2-4歳くらいかな。もうとにかくかわいんだ。
Babyクラスの子達から、8年生(日本で言えば、中二)に、英語・数学・社会・理科…を教えていました。
どんな学校かというと。
NGOが小学校を設立したはいいものの、運営費さえもままならず…教員たちへの給料も払えず…私たちインターンが協力する、というのが、ざっくりとした流れです。
ここに来ている子供たちは、両親がHIV患者であったり、ストリート生活者であったり、犯罪に巻き込まれていたり、シンナー吸っていたり…それぞれが様々な事情を抱えていました。
寝泊まりも、ここ、っていう子もいましたし。
ご飯は、こんな感じ。
ウガリ。
良く言えば、すいとんみたいな感じ。お お 美味しいですよ。私は好き。
ナイロビって…どんな街!?
ナイロビの街は、とーにーかーくー治安が悪い。
今となっては笑って話せますけど(生きて帰って来れたから)、実際、命の危険に晒されたこと、あります。何度も。本気で怖い思い、しました。
確かに、事前準備の時に読んでいたガイドブックには、「危険なため、移動はすべてタクシーで!!」なんてことが、書いてありましたしね。
いやいやでもね。
そんな、ハイハイって鵜呑みにできますか?
できませんて。
実際に行って見ないと分からない。だって、事件は現場で起こっているから。
それに、実際、危険な思いもしましたけども、わざわざ危険な思いをさせてくれるケニア人もいれば、それを救ってくれるのは、いつもケニア人。
人の温かみって、やっぱり、文章や映像では、伝わるにも限度があると思うんですよね。
現場に行かないと。自分が第六感までフル稼働させていかないと、分からないことだから。
ちょっと…ネタがありすぎるので…次回につづきます笑
“事件は現場で起こっている (ケニア・ナイロビ 編 1, 2011.8-10)” への 1 件のフィードバック