自己紹介させて頂きます!
こんにちは。
飯塚 はる香 (いいづか はるか)です。
平成元年生まれ。現在(2020年)、30歳。
グンマー出身の、エセ関西人です。3人キョウダイの長女。妹が1人、弟が1人、います。
バングラデシュ🇧🇩在住。アパレルブランドの代表をしてます。
元バックパッカーで、渡航歴は30ヶ国くらい。
ビートルズが大好き、読書は専ら村上春樹。
好きな食べ物は、おかんの作るオムライス。あでもアジアご飯は全般好きです。
そんな感じで、色んなことに挑戦しながら、色んなことに失敗しながら、楽しく生きています。
なぜいま、”バングラデシュ🇧🇩”で、”アパレル”の仕事をしているのか。
自分の人生は、全てが伏線だなーと思ってます。
ちょっと恥ずかしいですが笑、何でいまバングラデシュでアパレルの仕事してるのか、今までの自分の人生を振り返りつつ、考えてみようと思います。
グンマーのド田舎で、生まれ育ちました。幼い頃は、洋楽ブーム世代の両親の影響で、ビートルズばっかり聴いてました。
中学/高校時代。洋楽の影響か、気づけば、”海外カブレ”に。得意教科はもちろん、英語。海外の文化にも興味深々でした。
(My English teachers.)
大学時代。グンマーを離れ、東京へ。色々な方達との出会いを通して、自分が生きてきた世界の狭さを痛感。そして、ある学問との出会いが、私の人生の方向性を決めてくれたのかなー、と。
その学問とは…「開発学」です。
((「開発学」…途上国の貧困や開発援助に関する学問、といったらイメージしやすいかと思います。))
大学で「開発学」を勉強しているとね、どうしても現地での様子が気になる訳です。いくら文献を読んだって、いくら映像を観たって、自分の目で確かめなきゃ信じられないって思いました。
海外、行ったことなかったんです、ハタチまで。実家は農家なので、あんまり家を離れることが出来なかったし、ね。旅行とかもあんまりしたことなかった。だから余計、外の様子、現地の様子を知りたかった。自分の目で観たかった。
学生の4年間を通して、3度の海外インターンを経験しました。
Manila, Philippines. 2010
(初海外でいきなり2ヶ月フィリピン。よくやったな我ながら!笑)
Nairobi, Kenya. 2011
(アフリカ、まじ半端ない。同じ時代、同じ惑星とは思えない迫力。)
Phnom Penh, Cambodia. Vientiane, Laos. Yangon, Myanmar. 2012~2013
(海外で生活することがデフォルトになりつつあった、この頃。)
ひとこと。どハマりしました。
英語を遣って外国人とコミュニケーションするということ。異文化の地域で生活するということ。途上国という世界観の中でサバイバルしながら生活するということ。
全てが自分にとって新鮮で、価値観がガラッと変わりました。
「開発学」に出会っていなかったら…学生時代のインターンを経験していなかったら…きっといま、巡り巡って”バングラデシュ🇧🇩”にはいないと思う。
じゃあなんで、”バングラデシュ🇧🇩”で、”アパレル”なのか。
突っ込みます。
“国際協力”は、カンボジア🇰🇭のおかげ。”アパレル”は、バングラデシュ🇧🇩のおかげ…?
学生時代、3度の海外インターンを通して…
「国際協力を、学生時代だけの学問として終わらせたくない。これからの人生で進んでいく道として、生きていきたい。」そう思いました。
海外で出会う人たち、日本人も、現地の人も、すごく輝いてました。「生かされてる」んじゃなくて、「生きてる」なーって。そんな姿を見せつけられてしまったら、その道を選ばない手はないなって。素直にジェラシーでした。笑
そして。色んな国で色んな経験をしましたが、最後に私の背中をポンッと押してくれたのは、カンボジア🇰🇭での経験です。
カンボジアでインターン生として生活するなかで、「こんな丸腰の私でも役に立てることってあるんだ…!」と実感できる機会があり…その思いが数年後に実を結び、巡り巡って、気づいたらカンボジア在住者になっていました。
カンボジア🇰🇭在住の3年間。本当に色んなことがあったなー。
涙ちょちょぎれる思い出の日々は、コチラから…😭
じゃあなんで…バングラデシュ🇧🇩でアパレルの仕事してるの??
自分の直感を信じる。
国際協力を、これからの人生で進んでいく道と決めた。でも…具体的に、どうやって…??
と考えを巡らせているとき。ちょうどそのときに…事件が起きました。
2013年。バングラデシュ🇧🇩の首都ダッカ近郊で、Rana Plazaビルが崩落する、バングラ史上最大の産業事故が起きました。
※詳しくは、コチラから…
要は。ファストファッションブランドを筆頭に、グローバル展開する欧米や日本の大手ブランドが、劣悪な労働環境や安価な労働力に依存して、利益を上げている、ということが、この事故を通して分かりました。
この事実を知ったとき、当時2013年。「ん。私は、この事故に一生関わることになる。」と、直感を感じました。
だからです。
だから、私はいま、巡り巡って、バングラデシュ🇧🇩でアパレルの仕事をしています。
自分の可能性は、自分次第!✊
ピピッと。直感を感じてから、その道にどハマりしてから、早8年。
間違ってなかったかな、と思っています。
勿論、毎日色んなことがあります。おきます。24時間、365日、サバイバル生活を余儀なくされます。
でも、自分で選んで、念願叶ってこの国🇧🇩にきて、見たい世界を見させて頂いてるんだから。これ以上のリア充ってなくない?って、自分で思う訳です。
カンボジア🇰🇭とか、バングラデシュ🇧🇩とか、発展途上国と言われる国で生活するって、結構しんどいことが多いです。言葉、文化、宗教、食事、気候、ぜーーーーんぶ違う。
ぜんぶ、違うの。
だから、結構いかついし、しんどいこと、あります(重要だから2回、言う)。
でもね。だから、楽しいんです。
こういう生活が好きだから。「はるちゃん、変わってるよねー」ってよく言われますけど、それは私にとって最大の褒め言葉です。素直に嬉しい。
アジア最貧国のバングラデシュ🇧🇩で、アパレル👗の仕事してるなんて。私が一番驚いてますよ。なんで私が?って笑。
今までのどこかで、「どうせド田舎出身の私なんて、海外で働くのなんかムリだってー」とか、「アパレルのこととか良く分かんないし、ムリだってー」とか、思ってたら、今の私はいなかったな。
だからね。自分で自分の可能性を決めちゃわないで良かったなって思います。
というか、不器用なので「コレ!」って決めたら「コレ!」しか出来ません笑
そりゃもう、いろーーんな失敗してきました笑。カラダ中、傷だらけです笑。でもね、全部糧になってると思う。これからも、ココロにもカラダにもいろーーんな傷をつくりながら、アッチにぶつかって、コッチにぶつかって、ってしながら、前に向かって進んで行こうと思います。
自分の可能性を信じてあげなきゃ。他の人の可能性も信じてあげられないと思うので。
これからどうするのか?👀
基本的に、なるようになる、と思っています笑
特にいまは、コロナ禍の影響で、なかなかスケジュールを立てることが難しいです。
でもそんな中で、やりたいことはある程度定まっています。
ふたつ、あります。
1つめは、バングラデシュの”魅力”を発信するメディアをつくること。
2つめは、バングラデシュ発信のアパレルブランドをつくること。
詳細はまた別の機会でごりごりにお話させて頂きますが、いま出来る準備をコツコツを進めていこうと思っています。
そして、将来的には、お世話になったし大好きなカンボジアでも何かカタチに出来ればと思っており、その方法を多方面で模索中です。
カンボジア🇰🇭、バングラデシュ🇧🇩、この2つの国に、アパレル👗というツールを通して、一生関わり続ける。
この大枠ががブレることは、ナイと思ってます。
自分の直感を信じて、その方向に進み始めちゃったから。進んでいく中で、もーいやーって思ったことはないし、なんやかんやで…毎日が楽しいから。やっぱり、これ以上のリア充って、ないな笑!
人生一度しかないので。せっかく頂いたチャンスなので。沢山の失敗をしながら、ひとつひとつ自分で納得しながら進んでいくしかないなと思うので。
自分のこれからが楽しみだなーって思えるような毎日を、過ごして行きたいと思います!✊😊